岡田さんは膵癌と診断された。
診断時には、手術不能だった。
岡田さんは一年前、心筋梗塞になり、
大きな病院で入退院を繰り返した。
入院中は診断できなかったのだ。
心筋梗塞で入院していたからだ。
こういう「盲点」は発生し得る。
専門が細分化され過ぎているのだ。
退院後、異常に血糖値が上昇し、
黄疸も出て初めて見つかった。
年齢もあり、緩和ケアを勧められた。
本人と家族は化学療法を希望した。
病状の進行と副作用で食べられない。
往診依頼となった。
久々に会った岡田さん。
再会を泣いて喜んでくれた。
「えらいスリムになったね」
「食べられないんですよ」
「おかげで糖尿と血圧治ったね。
膵癌と合わせて2勝1敗やね」
そこに妻が現れた。
「お粥も食べないんですよ」
「じゃあ鰻(うなぎ)にすれば?」
妻は目を丸くした。
岡田さんは、
「鰻なら食べたいかも!」
こういうことはよくある。
鰻のタレはよく出来ている。
とにかくタレでご飯が食えれば、
上出来だ。
「お茶でもどうぞ」
奥さんに缶コーヒーを手渡された。
「微糖」と書かれてある。
「ぼく糖尿じゃないんで、糖入りで
いいんだけど」
岡田さんは大笑いしていた。
今日初めての満面の笑みだった。
神棚、仏壇、ご先祖様の写真。
名言、格言さまざま貼ってある。
「みんなに守られているんで」
岡田さんは言った。
「一番ご利益(りやく)あるのが来たね」
図々しく主治医は言った。
「トイレ美術館も見ていって下さい」
トイレにも名言格言豪華絢爛だった。
見覚えのある字があった。
「うす味にしたお陰で、素材の味が
よくわかり、新たな喜びを得た」
外来で書いて手渡した口ぐせだ。
毎日トイレで呟いてくれてたんだ…
もう塩分はいくら摂ってもいい。
剥がした。
「次回もっとええの書いてくるよ」
岡田さんはニッコリしていた。
玄関で岡田さんの声が聞こえた。
「せんせ~い!」
さっきと全然違う、よく通る声!
「パソコン忘れてるよ~!」
奥さんは再度目を丸くしていた。
「こんな声いつ以来かしら…」
家族は「治す」を選んだのだ。
あとはやるだけだ。