次の現場へ


「ブログネタが多そうな方に進んだら」
妻が言った。
わが妻ながらエエセンスだ!

8月一杯で診療所を辞めることになった。
理由はそれなりにあるのだが、
結局は「自分の意志」だ。
残りたければどんな手を使ってでも
残ればいいだけ。

12年間はそれなりの時間だった。
何を残したのか?
「作品」が残る世界が羨ましい。

チャーリー・パーカーが
素晴らしいのではない。
チャーリー・パーカーの「音楽」が
素晴らしいのだ。

ピカソが素晴らしいのではない。
ピカソの「絵」が素晴らしいのだ。

医療ならどうだろうか?
患者が治癒すること?
生き延びること?
それが目標なら難しい。
人はいつか死ぬ。

医療における「作品」とは?
異論はあるだろうが「関係」では
ないだろうか?

ときに私生活にまで近づき、共感し合い、
共通の目標に向かって伴走する。
打ちひしがれることも多々ある。

今、色んな形で患者さんたちが
可視化してくれている。
感謝と恐縮の時間は正直しんどい。
関係が理解できない人には一生
感じることができないだろう。

話が抽象的になりすぎた。

というわけで次の舞台に移ることにした。
やることは同じだから大丈夫。
手数と自由度が増えただけだ。

聴診器はタクト?

色んな楽団(バンド)を経験した。
観てきたバンド、所属したバンド。

うまくいっているバンドは
例外なく全員が「指揮者」だ。
メンバー全員が俯瞰(ふかん)
できている。

俯瞰するためには、「関係」を
理解し、共有することが必要だ。
当たり前と思うが、簡単に
できるかどうかは知らん。
簡単と思わない方がいい。

所属する「楽団」はたくさんある。
家庭、地域、学校、職場、地域、
国家、国連…

医療という「楽団」に限定しても、
患者、スタッフ、出入り業者、薬局…
無限に存在する。

しっかりと「関係」という足場を
築けているか?
「効く」ときは、できている。
間違いない。

悪く言えば、
自分勝手なヤツが1人でもおったら
治るモンも治らん
なのだ。

診療指針という共通言語への
信頼の効能は強力だ。
であれば、先人への敬意は
絶対に忘れてはいけない。

2000年以上前に、ヒポクラテスは
有名な「誓い」の中で、
「この術を与えてくれたすべての
先人たちへの敬意を忘れない」
と述べている。

それは医療の現場だけではない。
教育の世界でも適用されるべきだ。
宗教業界だって政治業界だって。

一番最初の関係性は「親子」だ。
親の自覚を持っているか?
自問自答している日々だ。

要は、どの「関係」の中でどんな
「機能」を果たしているのか?

そこを起点に考えれば、自ずと
身につけるべき「スペック」が
決定されるのではないか。
時間をつぶしている暇はない。

美しい音楽だけが効く。
24時間365日、自分のテーマです。