痛みはただの錯覚?


弟は仏教系の高校に通っていた。
校則違反をすると罰として写経。
色即是空、空即是色・・・
何十枚と手伝った。
おかげで『般若心経』は暗唱できる。

ある雑談で「走馬灯」の話になった。
経験者が語るとき、そろってみな
「時間がゆっくり流れた」
という。

スカイダイビングで自由落下中の
10秒間をはっきり「観」た。
ある人は交通事故の体験を
くっきりはっきり「観」た。
「ボールが止まって見える」現象も
その類ではないだろうか。

それはいわゆる「火事場のクソ力」
のような集中力の賜物なのか?
逆行性の記憶なのではないか?
つまり「追認」なのではないか?

話は尽きることなく盛り上がった。

『錯覚する脳』の著者は
「心はイリュージョンである」
と主張する。
そして「意識の機能は受動的である」
とする仮説を立てている。


たとえば、「よーいドン」と聞いて
「走り出す」という現象を考える。

音を聞いた意識が「走り出そう」と
決めたのではない。

無意識下の小びとたちの情報処理の結果、
「走り出そう」ということが決定され、
意識は、その結果をクオリアとして体験し、
あたかも自分が行ったかのように勘違いする
システムに過ぎないと考える。

実際、意識は「捏造」を繰り返す。

たとえば、熱いものを触れて
手を引っ込める行為を考える。
それは脊髄反射だ。
引っ込めた時点で脳の感覚野に
信号は届いていない。


脳は、これを
「熱いという知覚があったから
手を引っ込めた」

というストーリーで記憶する。

これは物理学的、解剖学的な事実
であり、著者の主張を支持する。

「心はイリュージョンである」
真新しい視点というわけではない。
それどころか2500年前からの考えだ。
釈迦の「色即是空」がまさにそれだ。

とすれば、悩みもすべてイリュージョン。
娯楽として楽しむのみ!

自閉症は天才脳

言語化することで記憶が整理される。
言葉にできないと記憶は困難だ。
だから言葉以前の記憶は薄い。
脳神経学の教科書で見た知見だ。
ホンマか?

安藤公平君(36歳)は自閉症だ。
180㎝、100㎏とかなり大きい。
気管支喘息と糖尿病がある。
月一定期受診時、両親は付き添う。

彼の視線の先は独特だ。
診察室へ入るや否や、置時計に向かう。
少しずれているのが気に入らないのだ。
巨体が突進してくる!
当初ひるんだが、今は気にならない。
彼に攻撃性がないことをよく知っている。

公平君には発達遅滞がある。
しかし楽曲は一発で憶えるそうだ!

音楽に接するとき通常の記憶作業とは
違う部位を使っているから
とかどうとか…
解剖学的な説明は不毛な気がする。
言語化できないもの、触れられないもの。
メロディ、伴奏やリズム、音色。
それを記憶できる人間の能力はスゴイ!

古今東西人間は音楽と触れてきた。
そして時空を超えた普遍性が存在する。
「感動」を共有できるという普遍性を。

解剖学的脳より高次の機能の存在。
公平君を見てつくづく確信される。

ちなみに公平君に注射できるのは
原田医師だけだそうだ。
他では暴れてどうしようもないらしい。
脳より高次の機能で触れてくれているのだ
と勝手に思い込んでいる。