エンディング・ノート

年に数回、健康講座を開いている。
患者さんからの要望だ。

インフルエンザ、脳卒中、認知症…
大抵ベタなテーマだ。

ときに
ヒアリ、デング熱、放射能被爆…
話題になっているトピックを
要望されることもある。

今回は
『エンディングノート』
について話すことになった。

在宅診療、看取りをしている
視点で話そうと思う。

エンディングノート的発想には
基本的に賛成だ。
「死」「終焉」から始める。
大切だと考えているからだ。


高齢者だけに必要なのではない。
若い人にこそ大切だと思う。

小島さん(79歳男性)は70歳の
ときにエンディングノートを書いた。
いつも誇らしげに話している。
他の人にも勧めているそうだ。

昨年他界した富士さんにも
書かせていた。
お陰で遺族は助かったそうだ。

今回、小島さんに依頼した。
「お手本としてみんなに
見せてもらえませんか?」

喜んで承諾してくれた。

見せられる内容かどうかは
これから吟味しないといけないが…

昨日参考資料集めに三省堂へ。
エンディングノートコーナーだけで
凄い量だった。

ほぼすべてに目を通した。

そんなに変わらない内容だった。
「のこされた人のために」
その視点が主だった。
確かにそれは大切なのだが…

ある患者さんから今回のテーマに
「独居の人には意味ないわね」
と軽く苦情が出た。
下町ははっきり言ってくれる。

「自身の残された人生を輝かせる」
その視点で話せるといいな。
そう考えている。

あと一日しかなかったら?

原崎さん86歳女性。
最近定期的に受診するようになった。
骨粗鬆症の薬を飲んでいる。
ボランティア活動に熱心だ。

「最近少し疲れてきたの」

「そんだけできたら充分でしょ」

すると原崎さんはじっとこちらを

見て、丁寧に話し出した。

「先生にお願いがあるんです」
「何でもどうぞ」
「私が弱ってきて、その時が来たら

静かに看取ってほしいんです」

全部理解できた。

荷物整理をしていたら、50代のときに
書いた遺言書が出てきたそうだ。
今の考えと全く同じだったそうだ。
30年前に仕上げているとは

当時としては先進的だ。

今回、改めてエンディングノートを
したためた。

終の主治医として選んでくれたようだ。

「ええオチにしたげますよ」

「ああ、よかった」

涙目で喜んでくれた。
お陰でボランティアに精を出せる。

やりたいことに集中できる。

終着点を決定することで自由を得る。
死を身近に感じておくことで、
自分の真の物語が描けるのかも…

おばちゃんを育てよう

早い話が
オッサンはおばちゃんを目指せ
ということだ。

102歳になった綿田さんが亡くなった。
入院先の病院で。
入院は避けたかった。
入院したら絶対帰ってこれない。
わかっていたからだ。

信頼されていた自負はあるが力不足だった。

息子二人は近隣に住んでいる。
息子が介護をするのは難しい。
それは重々理解している。
だからバックアップするつもりだった。
24時間の電話待機。
夜間にヘルパーに入ってもらう。
何より本人の自力がすごい。
家で過ごしたい、そう思っている。
息子に伝えた。
「一日一回だけ訪問したげて」
交互でかまわない。

リクエストはそれだけだった。

母の衰えを見るのが辛かったのだろう。
70代のオッサンには。
「病院入ったら帰ってこれないよ」
予言通りになってしまった。
たった4日で…
会話もしっかりしていた人が。
そらそうだ。

快適領域を強引に変えられたもの。
医者にもかからなかった人だ。

自戒を込めて言う。
オッサン、しっかりせえよ。
そしてお母さんたちにも言う。
そんなオッサンを作るな。
情厚く、最期まで逃げずに看取る。
おばちゃんのほとんどがそうしている。
オッサンは大抵逃げる、目を背ける。
親の顔が見たい!
死んだ母親か。
しゃあないか…