陽性?陰性?


「陰性でした」
「よかったあ」

と安堵する患者さん。

合否判定のような心持で
結果を待っているのだろう。

インフルエンザ流行期に
よく出くわすシーンだ。

発熱疾患はゴマンとある。
インフルではない?では何?
こちら側は鑑別診断開始だ。

HIVの結果を伝えるときも
同じシーンがある。

検査のリピーターには
(何回繰り返すねん!)
と言いそうになるが、慎む。

インフルでもないHIVでもない
病の方が厄介だ。

治療法の確立していない病の方が
世の中には圧倒的に多い。

インフルもHIVも何とかなる。

「コロナ陰性でしたよ」
と患者さんに伝えるとき、
医者の安堵感の方が大きい。
「陽性」結果の後の様々な
手続きが大変だからだ。

新コロの終息と、医療側の躊躇。
検査数が増えないのは両方の
要因があるように思う。

インフルもHIVも新コロも全部
『RNAウイルス』に分類される。
ちなみにエボラもRNAウイルスだ。


それがどうした?

カテゴライズは診断法や治療法の
開発に役立つことが多い。
一過性流行に新薬を開発するのは
製薬会社にリスクが大きい。
既存薬が効けば効能追加でラッキー!

だから、アビガンやレムデシベル、
逆転写酵素阻害剤が候補に上がる。

まあ、患者にとっては
「感染しているかどうか?」
「死ぬのかどうか?」

重要なのはそれだけだ。

ウイルスは小さい、世界は広い
というお話。

治り上手

早い話が
心配しながらうまくやれることはない
ということだ。

たとえばスポーツの試合。
試合中に心配している選手は負ける。

刻一刻と変わる状況に対応できないから。

音楽の演奏も同じ。
ステージに上がるまでは世界一下手と思え
ステージに上がったら世界一上手いと思え
とはエリッククラプトンの言葉だ。

心配しながらの演奏は聴いてられない。

スポーツも演奏も、持っているスペックを

最大限発揮し、淡々とやるしかない。

病への対応も同じはずだ。
子どもは症状そのものに正直だ。

「心配」という概念がないからだ。

対して大人は「心配」と格闘する。
「いつまでも続くのだろうか?」
「死ぬような病ではないだろうか?」
痛みなどの症状が四六時中が続く、
ということはまれだ。
何かに従事していれば忘れる。
寝てるときは気を失っている。

でしょ?

子どもはとてもわかりやすい。
症状が消えたら元気に遊んでいる。

つまり症状に「連続性」がないのだ。

大人は平気なときにまで病を感じる。
「アイスピックで刺されたような痛み」
などと経験のない表現を使ってまで、
再現しやすい状況を作り出す。

安静は貯金できるものではない。
症状がないときは何かした方がいい。
しんどいときに安静にすればいい。
少々無理するくらいでいい。
どうせできない無理はできない。
必ずリミッターが働くからだ。

少なくとも、
ここからここまでが「症状」
ここからここまでは「妄想(心配)」

その仕分けをするクセはつけた方がいい。

信頼する治療法を粛々と遂行する。
心配していては治癒も下手になる。