生きてるだけで丸儲け

「今年もよろしくお願いします。
でも、おめでとうは言えないのよ」

木田さんは86歳女性。
昨年末に妹を亡くした。

生き延びると「別れ」は必然的に増える。
死後の世界を信じていない主治医は
「再会の日は遠くない。妹さんの分まで
楽しく生きてあげましょう」

とだけ伝えた。

高齢者がよく言うセリフに
「迷惑ばっかりかけてて
生きてて良いのかしら?」

というのがある。
木田さんも言っていた。

そんなことはない。
医療費も払っている。
眼鏡も洋服も購入したものだ。
消費活動は誰かの役に立っている。

生まれたときは3kgの裸体だった。
15倍くらいに成長し、衣食住どころか
眼鏡まで獲得した。
生存競争の「勝ち組」だ。


木田さんは言った。
「誰かが言ってた。生きてるだけで
丸儲けだって」
「ほんま、そのとおりですよ」


大抵の動物は生殖活動が終われば、
寿命が尽きる。
生殖活動が終わっても、文化的活動を
できることが人間の真骨頂だ。

「後輩に生き延び方を教えないと
あきませんよ」


親の年齢を超えて生き延びる。
年下の兄弟姉妹を亡くす。
その孤独感は未知の世界だ。
だけど生きるしかない。
木田さんは浅草が大好きだ。
そして食べるのが大好きだ。

好奇心さえあれば生き延びられる。

死ぬで

時間制の競技がある。
サッカー、ラグビー、格闘技…

「もっとシュート打てよ」
「もっと手を出さなきゃ」

「時間ないぞ!」

選手や自陣の掛け声がはもちろん、

ファンもそういう気持ちになる。

ランナーの場合、有限なのは
時間ではなく距離だ。
ラストスパートという言葉がある。
時間と空間の違いはあれど、

「最後」は見えている。

人生における死はどうだろうか?
「いつ・どこ」かは見えない。

競技で言えば、「野球」に近い。

医学は「死」を最も忌み嫌うもの
として発展してきた側面がある。
死ぬ病を救ってきた。
その副作用か?

死ぬ存在であることを忘れている?

そんな人が増えたように思える。

中国でもそんな傾向があるそうだ。
あきらかに寿命に近い死でさえも、
医師が逆恨みされ、殺される。

そういうケースが増えているそうだ。

結果、医師を志望する人が減り、

医学の質が低下していると聞いた。

死を取り扱うのは宗教の仕事か?

ある種の宗教は死を美化する。
死後の世界、生まれ変わり…
「ある」か「ない」かわからない

世界を語る。

医師の立場から言わせてもらえば、

無責任としか言いようがない。

医師は「現世」を取り扱う仕事だ。
死後はわからんが、「死」はある。
そういう立場だ。

死から逆算して考えているか?

ラストスパートかけてるか?

シュート打ってるか?

死から逆算して優先順位を決定する。
少なくとも自分はそう考えている。

患者さんへもそう助言している。

明日死んでも後悔しないか?
もしも10年生きる保証されたら
10年後どうありたいか?

そこから逆算して「現世」を過ごす。

「死」は生は充実させる「道具」だ。
スポーツも宗教も「娯楽」だ。
生を充実させるために存在する。
そう考えている。