死ぬの?

佐藤さんは80歳男性。
外来終了後に飛び込んできた。

この時間帯に来る患者さんには
注意が必要だ。
重症が隠れているケースがある。
スタッフも帰宅間際なので
集中力が切れがちだ。
この時間帯こそ引き締めるように
と、常に確認し合っている。

めまいと嘔吐で来院した佐藤さん。
付添の妻も不安そうだ。
持参の袋内の吐物は食事内容だ。

問診した。
「なんで吐いてるの?」
「気持ち悪くて」
「何食ったの?」
「昼は食べてません」
「朝食ったんだ?」
「おでんを」


夫婦で始まった。
結構食べたじゃない!3種類だけだよ。
古かったかな?味は確認したんだけど。
しっかり火は通してあるわよ!

様子を眺めながら、薬を溶かす主治医。
佐藤さんの顔色は悪い。

問診再開。
「死ぬの?」
「え?」
「いや、死にそうな顔してるから」

横から妻が
「寝てばっかりなんですよ」

佐藤さんは昨年末で仕事を止めた。
マジメで腕の良い職人さんだった。
地域活動にも貢献し、人望もある。
2度、仕事中に大怪我をしている。
右の人差し指と中指を欠損している。

主治医は叱咤激励した。
「もうちょい生きるつもりなら
気合入れてよ。起きてないと」


溶け切った薬を手渡した。
飲み終わり、しばらくすると眼力が戻った。
顔色も回復してきた。
妻も驚いている。

神経所見には異常はない。
脳は問題ないようだ。
念の為に点滴をしておいた。

「おでん古かったのかな?」
まだ言っている妻に
「毒盛ったんじゃないの?」
こういう不謹慎を「荒療治」と
勝手に名付けている。

「まだ死なれたら困るよね?」
「そうよ」
と頷く妻。

もうちょい生きたいか?
このままで良いのか?
自分で決めるしかない。

死ぬのは難しくはない。
寝てれば楽に弱っていくだろう。
まだこの世に「用」があるなら
生きるしかない。


握手の力強さに、佐藤さんの
心が見えた。
3本とは思えない力強さに…

死ぬで

時間制の競技がある。
サッカー、ラグビー、格闘技…

「もっとシュート打てよ」
「もっと手を出さなきゃ」

「時間ないぞ!」

選手や自陣の掛け声がはもちろん、

ファンもそういう気持ちになる。

ランナーの場合、有限なのは
時間ではなく距離だ。
ラストスパートという言葉がある。
時間と空間の違いはあれど、

「最後」は見えている。

人生における死はどうだろうか?
「いつ・どこ」かは見えない。

競技で言えば、「野球」に近い。

医学は「死」を最も忌み嫌うもの
として発展してきた側面がある。
死ぬ病を救ってきた。
その副作用か?

死ぬ存在であることを忘れている?

そんな人が増えたように思える。

中国でもそんな傾向があるそうだ。
あきらかに寿命に近い死でさえも、
医師が逆恨みされ、殺される。

そういうケースが増えているそうだ。

結果、医師を志望する人が減り、

医学の質が低下していると聞いた。

死を取り扱うのは宗教の仕事か?

ある種の宗教は死を美化する。
死後の世界、生まれ変わり…
「ある」か「ない」かわからない

世界を語る。

医師の立場から言わせてもらえば、

無責任としか言いようがない。

医師は「現世」を取り扱う仕事だ。
死後はわからんが、「死」はある。
そういう立場だ。

死から逆算して考えているか?

ラストスパートかけてるか?

シュート打ってるか?

死から逆算して優先順位を決定する。
少なくとも自分はそう考えている。

患者さんへもそう助言している。

明日死んでも後悔しないか?
もしも10年生きる保証されたら
10年後どうありたいか?

そこから逆算して「現世」を過ごす。

「死」は生は充実させる「道具」だ。
スポーツも宗教も「娯楽」だ。
生を充実させるために存在する。
そう考えている。