痛みはただの錯覚?


弟は仏教系の高校に通っていた。
校則違反をすると罰として写経。
色即是空、空即是色・・・
何十枚と手伝った。
おかげで『般若心経』は暗唱できる。

ある雑談で「走馬灯」の話になった。
経験者が語るとき、そろってみな
「時間がゆっくり流れた」
という。

スカイダイビングで自由落下中の
10秒間をはっきり「観」た。
ある人は交通事故の体験を
くっきりはっきり「観」た。
「ボールが止まって見える」現象も
その類ではないだろうか。

それはいわゆる「火事場のクソ力」
のような集中力の賜物なのか?
逆行性の記憶なのではないか?
つまり「追認」なのではないか?

話は尽きることなく盛り上がった。

『錯覚する脳』の著者は
「心はイリュージョンである」
と主張する。
そして「意識の機能は受動的である」
とする仮説を立てている。


たとえば、「よーいドン」と聞いて
「走り出す」という現象を考える。

音を聞いた意識が「走り出そう」と
決めたのではない。

無意識下の小びとたちの情報処理の結果、
「走り出そう」ということが決定され、
意識は、その結果をクオリアとして体験し、
あたかも自分が行ったかのように勘違いする
システムに過ぎないと考える。

実際、意識は「捏造」を繰り返す。

たとえば、熱いものを触れて
手を引っ込める行為を考える。
それは脊髄反射だ。
引っ込めた時点で脳の感覚野に
信号は届いていない。


脳は、これを
「熱いという知覚があったから
手を引っ込めた」

というストーリーで記憶する。

これは物理学的、解剖学的な事実
であり、著者の主張を支持する。

「心はイリュージョンである」
真新しい視点というわけではない。
それどころか2500年前からの考えだ。
釈迦の「色即是空」がまさにそれだ。

とすれば、悩みもすべてイリュージョン。
娯楽として楽しむのみ!

噂という快楽


コーヒー豆を買いに行った。
自分の隣にいる娘を見て
店のオバちゃんが言った。

「子供は絶対にコロナ伝染っちゃ
いけないよ。エイズみたいに
一生残る病気になるらしいよ」


「誰に言うとんねん!?」
と言いたいところをグッと堪えて
笑顔で、
「そうなんや?気をつけます」
と応えた。

次の症例。

浅草寺でお参り中に倒れた外国人が
病院に救急搬送されたそうだ。
防護服に身を包んだ医師たちが診察し、
新型コロナ肺炎だった。

この話は患者さん数人から聴いた。
医師会からは全く情報が来ない。
話の内容にはあまりにも違和感が
あるのでおそらく「ガセ」だ。

人間の生存に「噂」は必要だった。
悪い噂の方がかえって重要だ。

同じ失敗をしないために。
「あそこに行くと大きな穴がある」
皆気をつける。

情報収集の手段が限られている
状況における人類の知恵だ。
人類は協力して生き延びてきた。
現代はあきらかに情報過多だ。
不安に押し潰されて死ぬかもしれない。


小川さんは76歳女性。
友人とコロナの話題になったそうだ。
「きっと原田先生ならこう言うよね。
って言って安心しているんです」

と言われた。

言っていない・・・

捏造されている・・・

しかし、不安を煽る噂話よりは
よっぽどマシか。
安心を与える情報源になっているの
だから良しとしよう。

正義の暴走

「捏造」「改ざん」
この文字を見ない日がない。

「STAP細胞」以後からではないか?

時代の寵児として注目された著者。
能力と関係のない部分でも話題に
なった(割烹着、ルックス…)。
研究は再現性の疑わしいものだった。

挙句の果ての「はしご」の外し方。
こういう風に人を潰すんや…
自殺者まで出す追い込み方。
社会のヒステリーは今も変わらない。
そう感じるのは自分だけか?

話は少しそれるが、
「死んで詫びろ」「一人で死ね」
どんな理由であれ、自死を容認する社会。
安楽死も尊厳死も議論できない。
詳細は別の機会に譲る。

著者が朗読もしているとのこと。
読むか聴くか?
聴く臨場感も捨てがたい。
次回作は自分も朗読しよう。