スリル中毒

電車に乗るのが怖い。
途中で降りてしまう。
仕事に行けない日が続く。

そういう悩みが続いた。
二人とも40代既婚者男性。

簡単に「うつ病」に逃げたくはない。
そうだとしても、初期なので
それなりに助言をした。

「おばけ怖い?」
「はい?」
「子供っておばけ怖がるよね?
まだおばけ怖い?」
「それと一緒ってことですか?」

違うかもしれない、それとは。
だけど克服しなければならない。

仕事行かなきゃ。でしょ?

「怖い」と発するとアホになる。
前頭葉が機能しなくなるからだ。
但し、ゴチャゴチャ考えずに
逃げるのが必要な状況もある。
「怖い」を失うと早死にする。
「怖い」は必要な「本能」なのだ。

だから、よく考えるべきだ。
「怖い」が適切かどうか?
おばけがいるのかどうか?

克服しなければならないことは
人生に多々ある。
そしてたくさん克服してきたはず。
自転車に乗る、に始まり、人前で
発表したり、危険な目に遭ったり、
子供が産まれたり…

出産する女性も絶対に「怖い」はず。
でも逃げられないし、克服する。

「電車が怖い」は幻想だ。
「怖い」という言葉さえいらない。
自分で作った妄想は自己責任。
幻想は「娯楽」にすべきだ。
毎日がジェットコースターだ。
かなりの高確率で「無事」が
保証されているのだから。

毎日チャレンジするのも悪くない。
記憶に残る日々を送れるはず。

心療内科ではないのでこの辺で…

死ぬで

時間制の競技がある。
サッカー、ラグビー、格闘技…

「もっとシュート打てよ」
「もっと手を出さなきゃ」

「時間ないぞ!」

選手や自陣の掛け声がはもちろん、

ファンもそういう気持ちになる。

ランナーの場合、有限なのは
時間ではなく距離だ。
ラストスパートという言葉がある。
時間と空間の違いはあれど、

「最後」は見えている。

人生における死はどうだろうか?
「いつ・どこ」かは見えない。

競技で言えば、「野球」に近い。

医学は「死」を最も忌み嫌うもの
として発展してきた側面がある。
死ぬ病を救ってきた。
その副作用か?

死ぬ存在であることを忘れている?

そんな人が増えたように思える。

中国でもそんな傾向があるそうだ。
あきらかに寿命に近い死でさえも、
医師が逆恨みされ、殺される。

そういうケースが増えているそうだ。

結果、医師を志望する人が減り、

医学の質が低下していると聞いた。

死を取り扱うのは宗教の仕事か?

ある種の宗教は死を美化する。
死後の世界、生まれ変わり…
「ある」か「ない」かわからない

世界を語る。

医師の立場から言わせてもらえば、

無責任としか言いようがない。

医師は「現世」を取り扱う仕事だ。
死後はわからんが、「死」はある。
そういう立場だ。

死から逆算して考えているか?

ラストスパートかけてるか?

シュート打ってるか?

死から逆算して優先順位を決定する。
少なくとも自分はそう考えている。

患者さんへもそう助言している。

明日死んでも後悔しないか?
もしも10年生きる保証されたら
10年後どうありたいか?

そこから逆算して「現世」を過ごす。

「死」は生は充実させる「道具」だ。
スポーツも宗教も「娯楽」だ。
生を充実させるために存在する。
そう考えている。

デンジャラス・ゾーン

数年前キューバで旅をした。
行く前も後も周囲から
「怖くないの?治安とか」
散々言われた。
実際のキューバはかつて訪れた
どの国よりも安全だった。
人は穏やかで、夜は早々静かだった。
情報がアップデートされていない。
キューバ革命時の混乱や、移民の犯罪。
その辺りで止まっているのだ。
キューバ、野球、ラテン、社会主義。
50年間それだけ。
興味がない国は危険な国になるようだ。

在宅患者さんの高杉さん80歳。
足が痛くて自宅にいる時間が増えた。
最近はほとんど家の外に出ない。
往診するといつも情報番組を見ている。
うちにはテレビがないので、
往診患者さんの家のテレビは新鮮だ。
つい、目がそちらへ向かってしまう。
番組構成、コメントに正直イラつく。
あえて番組名は出さないが、
どの局も似たり寄ったりだろう。

「下半身の一部が切り取られた死体を
女性が湘南で見つけたニュースです」
センセーショナルな予告でCMに入る。
「見つけた人トラウマになるわよねえ」
とナース。
「怖い世の中だからねえ」
という高山さん。
日本は世界で最も平和で安全な国だ。
殺人発生率は10万人当たり0.28人。
(ちなみにエルサルバドル82.84人)
年々、数字上の凶悪犯罪も減っている。
家にいると世の中は危険になるようだ。

一層高杉さんは引きこもるだろう。

テレビが娯楽だった時代がなつかしい。