逃げるから怖くなる

季節の変わり目に頭がモヤモヤする。
岡田さんは84歳の女性。
めまいの一種と捉えている。

表情の硬さはさながら鉄仮面だ。
「笑った方がいいですよ」
対処法を提案した。

かなり前に仕入れた知見だ。

笑うから面白くなる。
面白いから笑うのではない。

逃げるから怖くなる、というのもある。
心理学用語で「アウトサイド・イン」
というそうだ。

もしかしたら表情を和らげると
モヤモヤがとれるかもしれない。
少なくとも緊張は取れるだろう。
有害な副作用は考えられない。
というわけで、笑顔を励行した。

「面白いことを想像するように」
岡田さんは困惑していた。
まあそう面白いこともないそうだ。
だからネタをプレゼントした。

最近、家族が明るく過ごせるように、
朝の挨拶するときスキップで登場する。
家庭で、陽気な父親をやっている。

という告白をした。
このネタは、岡田さんと義娘、
師長にも大いにウケた。

気を良くした主治医は調子に乗り、
スキップで部屋をあとにした。

しばらく岡田さんは、この絵で
思い出し笑いできるだろう。
サービス業を実践している。

死ぬまで生きる

岡田さんは膵癌と診断された。
診断時には、手術不能だった。

岡田さんは一年前、心筋梗塞になり、

大きな病院で入退院を繰り返した。

入院中は診断できなかったのだ。
心筋梗塞で入院していたからだ。
こういう「盲点」は発生し得る。

専門が細分化され過ぎているのだ。

退院後、異常に血糖値が上昇し、

黄疸も出て初めて見つかった。

年齢もあり、緩和ケアを勧められた。

本人と家族は化学療法を希望した。

病状の進行と副作用で食べられない。

往診依頼となった。

久々に会った岡田さん。

再会を泣いて喜んでくれた。

「えらいスリムになったね」
「食べられないんですよ」
「おかげで糖尿と血圧治ったね。

膵癌と合わせて2勝1敗やね」

そこに妻が現れた。
「お粥も食べないんですよ」
「じゃあ鰻(うなぎ)にすれば?」
妻は目を丸くした。
岡田さんは、

「鰻なら食べたいかも!」

こういうことはよくある。
鰻のタレはよく出来ている。
とにかくタレでご飯が食えれば、

上出来だ。

「お茶でもどうぞ」

奥さんに缶コーヒーを手渡された。

「微糖」と書かれてある。

「ぼく糖尿じゃないんで、糖入りで
いいんだけど」
岡田さんは大笑いしていた。

今日初めての満面の笑みだった。

神棚、仏壇、ご先祖様の写真。

名言、格言さまざま貼ってある。

「みんなに守られているんで」
岡田さんは言った。
「一番ご利益(りやく)あるのが来たね」

図々しく主治医は言った。

「トイレ美術館も見ていって下さい」
トイレにも名言格言豪華絢爛だった。

見覚えのある字があった。

「うす味にしたお陰で、素材の味が

よくわかり、新たな喜びを得た」

外来で書いて手渡した口ぐせだ。

毎日トイレで呟いてくれてたんだ…

もう塩分はいくら摂ってもいい。
剥がした。
「次回もっとええの書いてくるよ」

岡田さんはニッコリしていた。

玄関で岡田さんの声が聞こえた。

「せんせ~い!」
さっきと全然違う、よく通る声!
「パソコン忘れてるよ~!」
奥さんは再度目を丸くしていた。

「こんな声いつ以来かしら…」

家族は「治す」を選んだのだ。
あとはやるだけだ。

死ぬで

時間制の競技がある。
サッカー、ラグビー、格闘技…

「もっとシュート打てよ」
「もっと手を出さなきゃ」

「時間ないぞ!」

選手や自陣の掛け声がはもちろん、

ファンもそういう気持ちになる。

ランナーの場合、有限なのは
時間ではなく距離だ。
ラストスパートという言葉がある。
時間と空間の違いはあれど、

「最後」は見えている。

人生における死はどうだろうか?
「いつ・どこ」かは見えない。

競技で言えば、「野球」に近い。

医学は「死」を最も忌み嫌うもの
として発展してきた側面がある。
死ぬ病を救ってきた。
その副作用か?

死ぬ存在であることを忘れている?

そんな人が増えたように思える。

中国でもそんな傾向があるそうだ。
あきらかに寿命に近い死でさえも、
医師が逆恨みされ、殺される。

そういうケースが増えているそうだ。

結果、医師を志望する人が減り、

医学の質が低下していると聞いた。

死を取り扱うのは宗教の仕事か?

ある種の宗教は死を美化する。
死後の世界、生まれ変わり…
「ある」か「ない」かわからない

世界を語る。

医師の立場から言わせてもらえば、

無責任としか言いようがない。

医師は「現世」を取り扱う仕事だ。
死後はわからんが、「死」はある。
そういう立場だ。

死から逆算して考えているか?

ラストスパートかけてるか?

シュート打ってるか?

死から逆算して優先順位を決定する。
少なくとも自分はそう考えている。

患者さんへもそう助言している。

明日死んでも後悔しないか?
もしも10年生きる保証されたら
10年後どうありたいか?

そこから逆算して「現世」を過ごす。

「死」は生は充実させる「道具」だ。
スポーツも宗教も「娯楽」だ。
生を充実させるために存在する。
そう考えている。