痛みはただの錯覚?


弟は仏教系の高校に通っていた。
校則違反をすると罰として写経。
色即是空、空即是色・・・
何十枚と手伝った。
おかげで『般若心経』は暗唱できる。

ある雑談で「走馬灯」の話になった。
経験者が語るとき、そろってみな
「時間がゆっくり流れた」
という。

スカイダイビングで自由落下中の
10秒間をはっきり「観」た。
ある人は交通事故の体験を
くっきりはっきり「観」た。
「ボールが止まって見える」現象も
その類ではないだろうか。

それはいわゆる「火事場のクソ力」
のような集中力の賜物なのか?
逆行性の記憶なのではないか?
つまり「追認」なのではないか?

話は尽きることなく盛り上がった。

『錯覚する脳』の著者は
「心はイリュージョンである」
と主張する。
そして「意識の機能は受動的である」
とする仮説を立てている。


たとえば、「よーいドン」と聞いて
「走り出す」という現象を考える。

音を聞いた意識が「走り出そう」と
決めたのではない。

無意識下の小びとたちの情報処理の結果、
「走り出そう」ということが決定され、
意識は、その結果をクオリアとして体験し、
あたかも自分が行ったかのように勘違いする
システムに過ぎないと考える。

実際、意識は「捏造」を繰り返す。

たとえば、熱いものを触れて
手を引っ込める行為を考える。
それは脊髄反射だ。
引っ込めた時点で脳の感覚野に
信号は届いていない。


脳は、これを
「熱いという知覚があったから
手を引っ込めた」

というストーリーで記憶する。

これは物理学的、解剖学的な事実
であり、著者の主張を支持する。

「心はイリュージョンである」
真新しい視点というわけではない。
それどころか2500年前からの考えだ。
釈迦の「色即是空」がまさにそれだ。

とすれば、悩みもすべてイリュージョン。
娯楽として楽しむのみ!

令和の医者坊主

「運動してはいけません」

千田さん(45歳男性)はある医師に
2年前そう忠告された。

レントゲンで異常があったそうだ。

その忠告をマジメに2年間守っていた…

今回当院で検診を受けた。
コレステロールが上がっていた。
千田さんは自己流で頑張った。

3ヶ月後、見事に数値は改善していた。

「すごい!どんな工夫したの?」
「運動しました」
「効果テキメンやね」
「もともと運動は好きなんです」
「ほう」

「医者に言われて止めてたんです」

胸部写真は現在全く問題なし。

運動制限の必要はあったのか?

とにかく千田さんは前医に対して
不信感を抱き、当院へ来た。
「運動の成果ですかね?」

千田さんは訊いてきた。

「運動を禁じた前医のお陰でしょ!」
そう答えた。

千田さんはずっと運動が好きだった。

医師に止められるまでは続けていた。

止めている期間があったからこそ、

運動の効能がわかったわけだ。

習慣を止めることで気づくことができた。
どんな過去も肯定しといた方がいい。
今が良いなら過去はすべて肯定だ。

すべては必要な経験だったのだ。

我ながらお坊さんのような説法だ。
ちなみに千田さんはお寺の住職である。