初舞台

夫は毒舌を吐いた。
「鳥越(祭り)までだね」
「あたし、お祭り見たら死ぬの?」
主治医は苦笑いするしかなかった。
「いつ死ぬかはだ~れもわかりません」

直美さん(68歳)は末期胃がんだ。
在宅で緩和ケアをしている。
幸い痛みはないが、眠れない。

最小限の点滴や眠剤でしのいでいる。

残された時間は少ない。
駆け込むように夫婦で旅行しまくった。
決して「おしどり夫婦」には見えない。
「会話弾むの?間(ま)持つんだ?」

何を話していいかわからない。
そんな熟年夫婦は少なくない。
幸い、会話はすこぶる弾むらしい。
夫婦できちんと向き合ってきたのだろう。
夫婦にしかわからない世界かもしれない。

夫の幸一さんのトークは確かにオモロイ。
新婚時代のエピソードだ。
「こんなのが出てきたんですけど」
夫の目の前に数枚の券を並べた直美さん。
吉原にある特殊浴場のサービス券だった。
(当時は「トルコ風呂」と言った…)
「これは期限切れね、これはあと何か月…」
目の前で淡々と仕分けする直美さん。
アッパレすぎる!
バツが悪い幸一さん。

町会の新年会の賞品として出品したそうだ!

ちなみに誰が当たったかも記憶している。
これまた当院の患者さんだった。

もちろん若かりし頃の話だ…

今年も鳥越祭りを見ることができた。
夫の予言を超えて生き延びている。
弱ってきているのは間違いない。
もう二人で旅行することはできない。
直美さんは元看護師だから気丈だ。
主治医は幸一さんを慮った。
「旦那さん、看てるの辛いんじゃない?」
「一蓮托生だから大丈夫」
直美さんがすっと返答した。

永遠の一蓮托生に「最期」はない。
尊い夫婦の舞台に出させてもらっている。
光栄だ!

一蓮托生

「お父さん最近脚がむくんでるのよ」
文江さんは開口一番、夫の話だ。
文江さんは高血圧で通院している。

「お父さんの話ね?」
「そう。大丈夫よね?」
「診ないと何とも言えません」
「むくみ」の鑑別は慎重さが必要だ。

文江さんの夫は某大学病院に通っている。
うちには風邪、下痢でたまに来院する。
たしか糖尿病だったはずだ。

1年以上診察していない。

「診ずに軽々しく大丈夫は言えんのよ」
「連れてきた方がいいよね?」

「はい」

大学病院ではきちんと診てくれない。
そんな愚痴を散々こぼした。

「とにかく連れてきて。それで調子どう?」
「最近腰が痛くて」
「文江さんが?」

「いや、お父さんが」

一瞬イラっとした…

ふと自分の苦い経験を思い出した。
予備校時代に好きな数学の講師がいた。
なぜか物理の質問ばかりしてしまった。
物理の講師より説明がうまかったからだ。
毎度毎度物理の質問をしていたある日。
講師のイラっとした顔を見逃さなかった。
その後、質問自体しなくなった…

夫の病状が妻の病状なのだろう。
この夫婦は一心同体、一蓮托生なのだ。
自分のことより夫のことなのだ。
外来で家族の話ばかりする。
そんな患者さんは少なくない。
文江さんの病状は極めて安定している。
来週月曜日夫を外来に連れてくる。