痛みはただの錯覚?


弟は仏教系の高校に通っていた。
校則違反をすると罰として写経。
色即是空、空即是色・・・
何十枚と手伝った。
おかげで『般若心経』は暗唱できる。

ある雑談で「走馬灯」の話になった。
経験者が語るとき、そろってみな
「時間がゆっくり流れた」
という。

スカイダイビングで自由落下中の
10秒間をはっきり「観」た。
ある人は交通事故の体験を
くっきりはっきり「観」た。
「ボールが止まって見える」現象も
その類ではないだろうか。

それはいわゆる「火事場のクソ力」
のような集中力の賜物なのか?
逆行性の記憶なのではないか?
つまり「追認」なのではないか?

話は尽きることなく盛り上がった。

『錯覚する脳』の著者は
「心はイリュージョンである」
と主張する。
そして「意識の機能は受動的である」
とする仮説を立てている。


たとえば、「よーいドン」と聞いて
「走り出す」という現象を考える。

音を聞いた意識が「走り出そう」と
決めたのではない。

無意識下の小びとたちの情報処理の結果、
「走り出そう」ということが決定され、
意識は、その結果をクオリアとして体験し、
あたかも自分が行ったかのように勘違いする
システムに過ぎないと考える。

実際、意識は「捏造」を繰り返す。

たとえば、熱いものを触れて
手を引っ込める行為を考える。
それは脊髄反射だ。
引っ込めた時点で脳の感覚野に
信号は届いていない。


脳は、これを
「熱いという知覚があったから
手を引っ込めた」

というストーリーで記憶する。

これは物理学的、解剖学的な事実
であり、著者の主張を支持する。

「心はイリュージョンである」
真新しい視点というわけではない。
それどころか2500年前からの考えだ。
釈迦の「色即是空」がまさにそれだ。

とすれば、悩みもすべてイリュージョン。
娯楽として楽しむのみ!

トラウマ克服法

「トラウマなんです」
という人は多い。

日本でトラウマという言葉が
使われたのは1980年代からだ。

「トラウマ」という言葉を聞くと、
「自分のトラウマは何だろう?」
と反射的に考えてしまう。
80年代以前にそれはなかったのだ。

トラウマという響きは日本語的だ。
覚えやすいゆえに頻用されたか。
これが「フォンフリッヒ」とかだと
「フォンフリッヒなんです」
とはならなかったかもしれない。

トラウマは「心的外傷」と訳される。
心の傷を負ったことのない人はいない、
程度の差こそあれど。

問題は何か?

身体症状や行動制限があるか
ないかが問題なのだ。

トラウマへのアクセスを繰り返す。
思い出す作業を繰り返すことで
記憶が強固になっていく。
勉強して「トラウマ大学」に受かる。
いい喩えではないが…

重層構造になってしまった記憶を
破壊するのは容易ではない。
そうなる前に忘却するクセを
つけることだ。

なぜ、嫌な記憶にアクセス
してしまうのか?
二度目の危険を回避するための
本能なのだろう。

反面、怖い場所に近づきたい
という本能もあるようだ。

ジェットコースター、ホラー映画、
スカイダイビング…

恐怖体験が娯楽になるのは、
生き延びた安堵感だろう。
生命危機の疑似体験と言える。

そこら辺にトラウマを克服する
ヒントがあるかもしれない。

トラウマを客観的に見ることが
できれば、克服したも同然。
あとは優先順位に従って、
人生の重要な用事をこなす。

トラウマと戯れている暇はない。
その状態になるのが理想だ。

祖先は皆、乗り越えてきたのだ。
絶対に大丈夫。

恐怖に打ち克つ方法

早い話が
取り扱えない言葉は捨ててしまえ!
ということだ。

佐藤さん(72歳)はうつ病だ。
最近状態はどんどん改善している。
兄弟で経営していた会社を昨年辞めた。
追い出される形での退社だそうだ。
仕事を辞めてうつ病を発症した。
当院には糖尿病でかかっている。
うつ病が悪くなると血糖値が上がる。

心と身体はつながっていると実感する。

「話をして相手を困らせるのが怖い」
佐藤さんはそう言った。
精神科的にはうつ病への対処として
「励ましは禁物」など色々ある。
こっちは内科医。

我流だが、正直に医療をするしかない。

「”怖い”は幻想よ」
「はあ…幻想?」
「ダイレクトな感情ではないでしょう?」
たとえば、嬉しい、悲しい、楽しいなど。
ある出来事に対して生じた感情だ。
では「怖い」や「恐怖」は?
起こりそうな出来事への感情だ。
自分の「期待」であり「幻想」だ。
6年前にキューバに行ったとき。
3500m上空からスカイダイビングをした。
飛ぶ前は「怖い」だが、スリルを楽しんだ。

期待以上のスリルだった。

世間で「怖い」とされているもの。
ジェットコースターやお化け屋敷、
ホラー映画はすべて娯楽だ。
「怖い」からこそ、みなやりたがる。
スリルを楽しむ未来が「怖い」なのだ。

だから「怖い」は娯楽への期待なのだ。

スリルが嫌いなら体験しなければいい。
それは「イヤ」という感情だ。

繰り返す。
「怖い」は期待にすぎない。
期待するのは、ほかならぬ自分。
幻想を作り出すのも自分。
恐怖に打ち克つ方法?

「ま・ぼ・ろ・し」だと知ることだ。

「自分が情けない」
とも佐藤さんは言った。
「情けない」はあってもいい。
「で、何?」だ。
理想の自分ではないから情けないのだ。

「情けなくない」自分になればいい。

うつのど真ん中ならこんな話は難しい。
佐藤さんは1歳の孫に救われている。
可愛くて仕方がないらしい。

赤ちゃんにうつ病はいない。
赤ちゃんは常に体験先にありきだ。
体験をして、感情が生じる。
その感情を言葉にできない。
言葉化できない感情に満たされている。
だから赤ちゃんのそばにいると

心地いいのかもしれない。

世界には邪魔な言葉が多い。

取り扱えない言葉は捨ててしまえ!
今日から「怖い」は禁止だ。

「絶対死なんといて下さいよ。
ボクのために生きてよ、佐藤さん。
死なれたら一生トラウマになるで」

最後にしっかり怖がらせておいた。