自分ゼロ

「私が遠くを見渡せるとすれば、それは巨人達の肩に乗ったからだ」
アイザック・ニュートン

ニュートンの肩に乗せてもらえる。
おかげで、ニューヨークに何時に到着するかわかるようになった。
それどころか月にまで到達できるようになった。
アインシュタインの肩に乗せてもらえた。
おかげで地図がなくても車で遠出できる。
スマホで地球の裏側の人とつながることができる。

今ここで文章を書いている。
「言語による伝達」はすべて先人たちの発明・発見があってこそ。
現在使っている「言葉」は理解して使っているつもりになっている。
しかし、今のところ発明した「言葉」はない。
「自分」で書いているといえるのか?

痛がっている「自分」、悲しい「自分」、悩んでいる「自分」ってだれ?
そもそも「自分」というモノは存在するのか?
「自分」は本来「他者との関係」の中でしか存在しない。
周囲を見渡す。
「自分」を囲むモノ全てが見事に「他者の仕事」の結果だ。
「自分」を定義しようと試みる。
親・先祖、所属を使用せずには一切定義できないことに気づく。

単独で存在する「自分」は存在しない。
だから「自分」とは「まぼろし」である。
尊敬する先人たちはみな口をそろえてそう言う。

「自分」を「ゼロ」と考えるようにしよう。
遠くを見渡せるような気がしても、しょせん先人の肩に乗せてもらっているだけだ。
患者さんを治している気になる。
「先人の智慧の集積」を使って患者さんが「治る」ことに協力してくれているだけだ。

と書いているのもただの「備忘録」に過ぎない。

よろず相談所 One Love
日本メディカルコーチング研究所
所長: 原田文植