音楽と言葉

師匠の日野晃先生から聴いた話だ。
22歳の頃セッションしたメンバーにチャーリーパーカーさながら凄いアドリブをするアルトサックス奏者がいたそうだ。
ジャズの命は「アドリブ」だ。
若き日野先生はサックス奏者に稽古法を訊いた。
「通常のコピー練習はもちろんする。それとは別に、親からアドリブの特訓を受けていた。同じ音を吹き続ける。自分の中から湧き上がってくるフレーズが出るまで。湧き上がったら次に行ってよし。それを繰り返した」
感嘆し、その後、日野先生の練習は変わったそうだ。
ソニーロリンズの「例のフレーズ」はまさにそれ。
湧き上がる「その次」をうかがって、「その時」が来たら一気に飛翔する!

話は替わるが、外国言語習得について思うところがある。
自分は「語学として学ぶな」派である。
つまり、「感情」をともなわない「言葉」を学ぶなということだ。

言語は「学ぶ」ものではなく、「身につく」ものと考えるからだ。
自分が現在使っている「言葉」は学んだものではない。
常に「感情」をともなって「身についた」ものだ。
たとえば、「パパ、ママ」という言葉も「自分を守ってくれる関係」を感じながら、身についたはずだ。
親から発せられる「危ない!」に「注意しないといけない」という「感情」をともなって習得した「危ない」という言葉だ。
そもそも「語学」と名付けること自体がおかしいのかもしれない。
もちろん「学問」として「言語」を対象にするのは有意義だ。
それは「アフリカ研究」や「考古学研究」と同類だ。
しかし、一般の人にとって言語は研究対象ではない。
「伝達」を目的とした「使用価値」が重要なはずだ。
「形式」だけ重視した「感情」をともなわない「言葉」は危険ですらある。
医療現場における「言葉遣い」はときに「生命」に関わる。

もちろん「形式」としての「言葉」も大切だ。
国会で感情のおもむくままに話されても困る。

「言葉」は「感情」とともに育っていくものではないだろうか。
数分の音楽演奏の中でも学べることは無限にある。
しかし人生時間は有限だ。
「感情」をともなわない「ムダ口」を発するヒマはない。

 

日本メディカルコーチング研究所
よろず相談所 One Love
所長: 原田文植