「物忘れがひどい。老化だね」
相も変わらず、よく耳にする嘆きだ。
「老化なんて存在しない」
何度もそう言ってきた。
若い医者にわかるもんか!
そう顔に書いてある人も多い…
「加点方式で行きましょう」
最近そう言うことにした。
忘れたことに着眼するな。
憶えていることに着眼しよう。
若い(?)医者の話だ。
医師の記憶すべき情報は膨大だ。
いや、無限にある、とも言える。
永遠に目の前に記憶すべき素材は現れる。
自分の記憶のキャパを超える。
そのとき、どう考えるか?
思い出せないことに着眼すると?
気が狂いそうになる。
強迫観念にかられるからだ。
次に進むためには?
結局自分を肯定するしかないのだ。
これだけ憶えてるやん!と。
これが「加点方式」だ。
「全然憶えられない」
「なんにもわからない」
言葉が強すぎるのだ。
ちょっとは憶えているはずだ。
昔のことはよく憶えているのだから。
世の中「減点方式」が多すぎる。
だから老化を言い訳にするのだ。
年を重ねても向上する能力はゴマンとある。
「老化」という言葉を使った途端、老化を
肯定する情報しか見えなくなる。
人間の脳はそういう風にできている。
「お誕生日おめでとうございます」
誕生日付近の患者さんを必ず祝う。
「よかった、先生だけでも祝ってくれた」
渡辺さん(80歳)はそう言った。
誕生日に自殺が増える。
誰も祝ってくれない。
それが孤独感を増幅させる。
そう推測されている。
これぞまさに「減点方式」!
加点方式なら人は死なない。
周りに誕生日だと吹聴すればいい。
必ず「おめでとう」と言ってくれる。
毎日が誕生日と考えるのもありだ。
一日一日、究極の「加点方式」だ。
やったあ!今日も生き延びた!
今日も生きた証を残そう。
これしかない。
日本メディカルコーチング研究所
所長:原田文植