死ぬで

時間制の競技がある。
サッカー、ラグビー、格闘技…

「もっとシュート打てよ」
「もっと手を出さなきゃ」

「時間ないぞ!」

選手や自陣の掛け声がはもちろん、

ファンもそういう気持ちになる。

ランナーの場合、有限なのは
時間ではなく距離だ。
ラストスパートという言葉がある。
時間と空間の違いはあれど、

「最後」は見えている。

人生における死はどうだろうか?
「いつ・どこ」かは見えない。

競技で言えば、「野球」に近い。

医学は「死」を最も忌み嫌うもの
として発展してきた側面がある。
死ぬ病を救ってきた。
その副作用か?

死ぬ存在であることを忘れている?

そんな人が増えたように思える。

中国でもそんな傾向があるそうだ。
あきらかに寿命に近い死でさえも、
医師が逆恨みされ、殺される。

そういうケースが増えているそうだ。

結果、医師を志望する人が減り、

医学の質が低下していると聞いた。

死を取り扱うのは宗教の仕事か?

ある種の宗教は死を美化する。
死後の世界、生まれ変わり…
「ある」か「ない」かわからない

世界を語る。

医師の立場から言わせてもらえば、

無責任としか言いようがない。

医師は「現世」を取り扱う仕事だ。
死後はわからんが、「死」はある。
そういう立場だ。

死から逆算して考えているか?

ラストスパートかけてるか?

シュート打ってるか?

死から逆算して優先順位を決定する。
少なくとも自分はそう考えている。

患者さんへもそう助言している。

明日死んでも後悔しないか?
もしも10年生きる保証されたら
10年後どうありたいか?

そこから逆算して「現世」を過ごす。

「死」は生は充実させる「道具」だ。
スポーツも宗教も「娯楽」だ。
生を充実させるために存在する。
そう考えている。